エッセンシャル思考とは何か?
はじめに
年明けから最近まで、「やりたいこと」や「やらねばならないと思うこと」が、可処分時間に対して多すぎると感じる日々を過ごしていた。
結論から言うと、この原因のほとんどは、年始の「2021年は○○をやるぞ!」と意気込んで、何にでも手を出し始めたことだと思う。ちょっと気合を入れすぎた。
そこで私は、実は以前から積ん読していた『エッセンシャル思考』という書籍に助けを求めた。本記事では、エッセンシャル思考とは何か?について簡単に紹介できればと考えている。
ずばり
「エッセンシャル思考とは何か」という問いに答える切り口は、いくつもある。ここでは、エッセンシャル思考と非エッセンシャル思考の比較から意味を理解してみよう。
非エッセンシャル思考とは、
- やらなくては
- どれも大事
- 全部できる
という思考パターン
エッセンシャル思考とは、
- 「やらなくては」ではなく、「やると決める」
- 「どれも大事」ではなく、「大事なものはめったにない」
- 「全部できる」ではなく、「何でもできるが、全部はやらない」
という思考パターン
これだけ覚えておけば、もう大丈夫な気がする。かなり明確な表現でわかりやすい。短くて覚えやすい。
ちょっと細かい話
前述の3つのポイントについて、筆者は「選択」「ノイズ」「トレードオフ」という3つの章でわかりやすく解説してくれている。せっかくなので、それらを簡単にまとめてみる。
この本では、至るところに心くすぐるパワーワードが散りばめられているので、それらを拾っていく感じでまとめよう。
選択〜選ぶ力を取り戻す
選ぶ能力は誰にも奪えない。ただ、本人が手放してしまうだけだ。
本書では、「早い段階でタフな選択を行い、後の些末な選択に時間を奪わせるな」と繰り返し述べている。本ワードは、その最初の部分である。今回の私のように「あれもやらないと、これもやらないと」という状況のとき、選ぶことから目をそむけている気がする。実際私は、そうだったと思う。選択肢は奪うことはできても、選ぶ能力(自由意志)は誰にも奪えない。これはとても勇気をくれる言葉だと感じた。自由意志を大事にしたいと思った。
エッセンシャル思考の最初の一歩は、「選ぶ」ことを選ぶことだ。
自分の自由意志を大切に、選ぶことを選べば、他人の選択(あるいは、自分自身の過去の選択)を黙々と実行する自分から開放される。選ぶ権利を大切にし、他人に自分の人生を決めさせないことが重要だ。
決して、「わがままになれ」という意味ではないと思うが、その境目は曖昧な気もする。本書を読んで、「わがままになればいいんだ」と解釈する人もいるかもしれない。
ノイズ〜大多数のものは無価値である
重要な少数は些末な多数に勝る
有名な「80対20の法則(パレートの法則)」のお話である。成果の80%は20%の努力に起因するという説である。やがて、この仮説を元に品質管理の分野において、「決定的に重要な少数の法則」というものが唱えられた。これは、問題のごく一部の改善が全体の品質を大きく改善させるという話である。
ほとんどあらゆるものは、徹底的に無価値である
by ジョン・C・マクスウェル
これはなかなか強い言葉だと思う😅(ちょっと言いすぎかなと思うぐらい)ただ、後の世に語り継がれる言葉というのは、力がこもっているもの。多めに見ておこう。着目すべきは、「ほとんどが無価値だ」という部分ではなく、(行間の)「ごく少数の価値あるものを見つけよ」という言葉だと私は解釈した。
トレードオフ〜何かを選ぶことは何かを捨てること
完璧な答えなど存在しない。あるのはトレードオフだけだ。
by トーマス・ソエル
本書の中で、トップクラスに好きな言葉だ。実は最近、キャリア選択で悩んでいる方にこの言葉を贈ってドヤ顔をしたというエピソードがある。けど、ここで語るのはやめておく。自分もそうだが、「すべてを叶えられる手段や選択肢が(まだ気づいていないだけで)どこかにあるのではないか?」と考えてしまうことがよくある。特に大切にしたい複数のことを天秤にかけなければならなくなったときだ。まさに「タフな選択」が必要なとき。そういう時にこの言葉を覚えておくと、ある種のバイアスから逃れられるような気がする。「すぐに何かをあきらめる」という意味ではないと思うので、そこは間違えないようにしたい。
「顧客、従業員、株主の皆様をもっとも大切に考えます」というステートメントも見かける。みんなを優先するのは、誰も優先しないのと同じだ。
耳が痛い。なんか聞き覚えがあるな。特に「みんなを優先するのは、誰も優先しないのと同じだ。」という部分。
エッセンシャル思考の人は、(中略)「何をあきらめなくてはならないか?」と問う代わりに「何に全力を注ごうか?」と考える。
何かを捨てて、何かを選ぶという同じ行動をとったとしても、心の中でどう考えるかでその後の行動も変わってくるのではないかと私は考える。何かを捨てたことを「後悔する気持ち」よりも、何かを選び「大切にするという決意」に目が向くからだ。
おわりに
昨年の秋頃、この本を手に取りざっと読んだとき「なるほどね、そうだよね。わかるわかる。自分は実践できてるな」と感じたのを覚えている。当時は、結構余裕があったからだと思う。そしてここ最近は、(大したものではないけど)苦境に立たされてい訳だ。状況が変わると人間の心や考え方は変わるものだなぁと感じた。その本を「手に取るべきときに手に取れる」状態にしておいたという意味では、積ん読にしてたのは悪いことではないよね。(え?)