無駄ではあっても無意味なものにはしない

人生では失敗することがある。
多々ある。

本日はプログラミングの勉強してて、エラーが解消できずに3時間程調査や思考に費やした。 結果として、エラーは解消できていない。(明日に持ち越し)

おそらく、もっと効率的な解決方法があったはず。 お金をかけて、メンター雇ったりスクールに通ったり

そうした方が、時間を無駄にしなくて済んだだろう。

正直結構反省している。 だが、自分を否定してはいない。正直ラッキーかなと思っている。 失敗という経験を得た。(某ジャンプ漫画より引用)

で、今回の行動については、無駄ではあったが無意味ではないなと思った。

無駄と無意味の違いとは

kotobank.jp

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今回、勉強中にハマった箇所の解決は3時間もかけず(しかも解決できず笑)に達成する手段はあるはず。 非効率な時間の使い方をしたと言える。つまり無駄である。

しかし、この失敗から学び、次の行動をあるいは自分の思考をアップデートすることができれば、 この失敗は無意味にはならない。 そして、私はそうするつもりだ。だから無意味ではない。


失敗した自分を責めなくていい。ていうか、そんな暇ない

だから、失敗した時は落ち込む必要はない。 その失敗を糧にして、次の行動を変えて、意味のある失敗にすればいい。 同じ失敗をしてもいい。 同じ失敗をしたら、さらに強く自分の記憶に刻み付けられる。 1回で完璧に直せた人より、深く刻み付けられる。 それは十分に価値があると思う。

世の中には、1回やれば次からは二度と同じ失敗をしない人もいるだろう。 でも、自分とその人(実在するか知らないけど)を比較して、自分を卑下する必要はない。

違うのだから。


結論

結論何が言いたいかというと、タイトル通りなんだけどね。